小説が書けない

小説が書けない時、代わりに吐き出す場所として

そこに還る

書けないね、ああ書けない。どんな作品でも、前半のどこか一小節くらいはつまらないものが紛れている。けどそれは不要じゃなくて、なんの伏線もなくても、どんな興奮がなくても、そこから何もかもが崩れ去るときの衝撃、それを大きくするために必要な積み上げなんだ。で、今僕はその『つまらない部分』をどうにかして面白く、せめて不快感なく読めるようにするっていう地獄みたいな改稿をしている。

本当は、ここにも書かずに消えるつもりだった。けどまあ、書けないときにここに書くと結構描けたりするんだよなぜか。ポッと言葉が出てくることがあるんだ。ちなみにこうやって思考停止したまま書いてると直前に読んだ文章に文体がめちゃくちゃに引っ張られる。さっき読んだのは一方的にフォローさせてもらってる人たちのブログだ。

アレ、だ。一番の根源となったアレ。もう名前も見たくないから言わないけど。瞬間瞬間にアレのせいで沸くネガティブな思考、本来ならアレから来る記憶力の悪さで一瞬で消えるはずのそれを永遠に固定化できてしまうTwitter、そして、絶望的にそりの合わない、ありていに言って救いようのないルサンチマン塗れの屑の言葉でも否が応でも目にしてしまう”掲示板”という機構。どっちも精神に非常に悪影響が来てたみたいで、ふと二つともやめてみたら結構精神がマシになった。夏休み、それもあるかもしれない。けどどうせ俺の夏休みは休みじゃない。

孤独は立ち寄るには良いが、住むには寂しい。そんな格言があったと思う。僕は逆だ。ただ、あんたらの場所に立ち寄っていた。そして、これから孤独に還る。17年間そこで生きてたから、個人名の上がるツイートとかを見てるだけで結構キツかった。孤独の中では、こんなにも時間が有り余っていて、こんなにも強く生きれるのだと思い出した。今は毎日一冊の本と十冊程度の漫画とたまに映画やアニメを見ながら勉強と執筆をやっている。二年ぶりくらいだろうか。またそっちに立ち寄るかもしれない、その時はよろしくお願いしたい。

ずっと書いている。頭痛がメチャクチャにキツい。刺すような鈍痛が襲い掛かってくる。今日は一食、焼肉食べ放題ソロしか行ってないけど吐きそうだ。けど、心は結構元気だ。

Twitterで大量の『言葉』を仕入れた。掲示板で幾度も小説のアドバイスを貰った。決して無駄じゃなかった。けれど、とりあえずはこれくらいで十分だ。夏の間に書き上げる。絶望的な量のタスクも勿論、部活のデスマーチもだ。でも、今は結構元気だ。夢があって、それを追い続けられる。夢に向かって走りながら死ねるなら、それはそれでロックじゃないか。孤独になったから、ここまでポジティブになれたように思う。

それでは皆さん、ごきげんよう。