小説が書けない

小説が書けない時、代わりに吐き出す場所として

I hate you.

認知行動療法、自分語り、ヘイトスピーチ


誰かが愛しいのなら、絶対にその愛の証明として相手を傷付けたりしてはいけない。
あなたの想いなんて、相手にはなんの意味もない。
『愛してるから』なんて、『お前のためを思って』なんて。

ここで改めて書かせてもらうと、僕はこの世界のあらゆる存在を憎んでいる。
殺したいと思う。ぐちゃぐちゃにしたいと思う。憎い。憎い。殺したい。憎い。
親も友人も画面の前のあなたも。全部全部壊したい。憎い。正確には、いくつか壊してきたけれど。

理解はしている。所詮ヒトの頭の中の現象だ、そこには因果が存在する。
或いは何らかのパーソナリティ障害に分類されるのかもしれない。
単純に、『助けを求められなかった人間の末路』だ。
最近、最初の原因を思い出した。心療内科に行けなくなってから代替手段としてセルフ認知行動療法を行っていた。
あれは最終的には治療へと向かうものだが、自らの暗部と向き合うものであるからその時々によっては精神が非常に不安定になる事がある。
ちょうど折り悪くそれが重要なテストの前日で、ただでさえ不安定な所にその記憶がやってきて、残っていたノーマルン(三環形)を全部飲んだ。
目が覚めたら金土日が終わってて月曜の朝だった。かくして五月早々に僕の留年が確定した。
最初の記憶。ADHD故文章は制御を努力しなければ見ての通りにひどいものになるが、内側の嵐を外側に放り出す事で少しでもマシになろうとしているだけだ。
画面の向こうの誰かなど、さっきも言ったように憎くて憎いだけだ。
二歳の頃に重い心臓病を患った。日本人に特有の病気であるため日本にしか治療法が確立しておらず、父親の研究について行ってアメリカに居た家族全員、父親も含め日本に帰ることになった。
それでまあ、キャリアコースから外れた父親は日本での教授の座席争いに負けて、鬱になった。らしい、最近聞いたことだ。ついでに自分が心臓病の後遺症でいつ死ぬか分からないことも最近聞いた。
それもテストの前だったりするが、それで大量の単位を落とした話も本筋じゃない。
小学校に入るか入らないか、そのくらいだ。なにも分からない。僕は普通の子供のように泣いたり駄々をこねたりした。ADHDだからもっとひどかったかもしれない。
鬱の父親は、そのたびに僕を二人きりの部屋に連れ込んで、自殺を仄めかした。『遠くに行く』とか『もう会えなくなる』とかそんな婉曲な表現だったかもしれないが関係ない。
『助けを求めたら』『誰かが不幸になる』 短期記憶が腐っていて未だに後輩の部員の名前が覚えられない僕が、一番最初に骨の髄まで覚えた確かな事だ。
僕は助けを求められない人間になった。
小学校。格調高い私学で突飛な行動を繰り返す発達障碍児は当然、いじめの対象になる。ここでは多く書かないが、幸い尻の穴にカエルの卵を入れられたりはしていない。
格調高い私学だった、いじめもそれなりに奥ゆかしいものだった。助けは誰にも求められなかった。親に求めたらもっと面倒くさいことになるのは分かりきっていた。
先生が気付いてちょっと騒ぎになったりもしたけど、一日も続かなかった。『他人が敵である』という感覚を、半数以上の人は知らずに生きていく。
自分のやらかした事で低い評価を受けて、それで拗ねている人間に関しては、マジで殺意しか沸かない。叩かれずに育って自意識の肥大した奴も同じだ。
中学、一番楽な時期だった。ネットゲームに入り浸った。この時の対価は高校で支払うことになるが、この時のことは無駄だとは思っていない。人並みの集中力を一瞬だけ発揮する方法とか、常人にはできない常人の越え方とかを色々学べた。ちなみやっていたのはFPSで、戦績は『一回倒されるまでに十回倒す』くらいだった。
高校。外では伝説だと言われたりした。当然だ、偏差値23から二年で偏差値70の国立医大に入った奴なんてそう居ない。
当然、地獄だった。自分の怠惰っぷりもよくよく理解していたので、塾のコマは週8以上とった。365日、一日二十時間毎日勉強して、二時間しか寝なかった。朝起きて、食卓でコーヒーを持ったまま寝て全部こぼしたりした。
プリントを持ったまま電車内で寝てプリントが舞ったりした。ホームで二秒くらい失神するのも普通に怖かった。頭も胃もものすごく痛かった。二年間だ。何度も死にたいと思った。
小学校の頃のクラスメート二人が、塾の閉まる時間まで勉強した帰りにホームで手を繋いでた時とかは普通にホームに飛び込んで赤い花になりかけた。
『助けを求めると面倒な事になる』から、カフェインを入れまくって他人の眼の前では常に無理やり躁の状態に持って行った。よく、『悩み無さそう』『お前人生楽そうだな』と言われた。
生徒はたまに持て囃した。それだけだった。散々俺の事を馬鹿にしてきた連中は、手の平を返したように『天才だ』と言ってきた。分かっていると思うが天才とは努力せずに結果を出す人間の事だ。
ちょうど、弟の受験と被っていた。俺の死ぬほどの努力で表面上うまくいっていた俺の受験に関しては目もくれず、弟の受験にかかりっきりだった。
アパートと同じ構造でとても音がよく響く。家で勉強していると、勉強しない弟への大声での罵声がよく飛んだ。何度も言うがADHDだ。分からなくていいが、知って欲しい。
集中にかかる時間は人の数倍で、五感のノイズでとても気が散りやすく、再び集中し直すのにまた同じ時間がかかる。何度も静かにしてくれと言ったが聞く親ではなかった。
一度限界が来て、友人に相談しようとした事があった。『躁で振る舞っている場所しか見ていない』友人には冗談にしか見えなあったのか、盛大にウケた風に笑っていた。
休日勉強していたら、弟の進学先で、扉一枚隔てた向こうで四時間くらい口論が続いた時があった。コップがNメートル飛んだり手首の切り傷手の甲の刺し傷が増えたりしただけで済ませたことを後悔している。
その時も親は「お前達の事を思って」と言っていた。眼の一つでも潰しておけばよかった。
読んでいて分かると思うが、この時はまだギリギリ『助けを求める』ことをしていた。最後の、細い細い希望として。
そして、全部ぶっ潰された。それも、助けと認識されないまま、或いは自分が正しい事をしていると思い込んだまま。
そして、誇っていると思ってくれて構わない、結局、一人で全部どうにかしてしまった。全部敵であると認識したまま全部為してしまった。
ついに助けを求める動作が完全にできなくなった。喉を言葉が通ってくれない。こうやって、誰とも分からない、こちらに影響できない人間に対して字にすることが辛うじてできるだけだ。

これでもまだ、馬鹿な僕は人間を嫌わずに居た。
そして、かくして現役で偏差値70の大学にストレートで通って一通り落ちた人間をひたすら貶める合格体験記を書いて復讐を済ませた後、キラキラの悪夢みたいな大学生活が始まる。

正直ここまで書くだけで死にそうになってる。明日テストだ。親の鼻を折ったり弟の永久歯を折ったり30万のテレビを叩き割ったり親から十万の慰謝料をふんだくって東京に行ったりした話は、たぶん書かないだろう。
けれどまあ、ここに書いたことなんて大したことじゃないような出来事が今年の始めにあって、完全に人間を憎むようになった、というよりは憎まないと生きていけないようになった。
『全部憎んだ』のは本当じゃないにしても。☆を飛ばし合う中の人でも、精神や家庭環境や身体のどこにも欠落のない癖してなんか悩んでるような人、
何も為してない癖して評論をぶっこくような人に関してはたまに☆じゃなくてスマホを手裏剣みたいにぶん投げたくなる。体験談だけど、結構正確に飛んで命中したら三週間くらいの痣になる。
本当は憎みたくない、なんて。分かってる。人の想いなんて、どうでもいいんだ。何を為したか以外で、評価をしてはいけない。
なぜここまで憎む羽目になったか、書こうとしたんだけどこれ以上手が動きそうにない。
明日もテストだ。来週も、再来週も。

-追記-

視界が安定しない。目覚めた直後の低血圧のようなものがずっと継続している。
出来事は言わない。概論だけ言わせてもらう。
助けてほしかった。助けてもらえなかった。助けを求めたかった。誰もそれを許さなかった。誰も彼も俺に『お手軽な道化』を求めた。
相手方はどう認識しているか知らないが、イジメは小学校から今まで、ずっと続いている。
つまり他者は、『自分を害して、その癖利益や助けを求めることは許さない存在』、つまり敵以外のなにものでもなかった。ずっとずっと。
そして、一番大きなこと、これを文字にするのが苦しくて仕方ない、考えたく無くて仕方がない。ここまで憎まなければならなかった理由。最初の記憶。
考えようとするとそれは隠れてしまう、こんなに重いのに。それが一番重要なのに。これまでのなんて前座にもなりやしないのに。

憎まないと、生きていけないのだ。
I hate you, because…
『』
I
『』
I loved
『』
誰かの事を思って行動して、それが良かったことなんて一度もなかったから、。えろl;めくぁdfヴぁえ
誰かの事を思って行動すると良くないことが起こるから二度とそんなことしないように
憎むしかなかった。
最初、助けを求めようとしたら死ぬと言った親を想って、助けを求めないようにした、それがこのザマだ。
最後まで、想いに付け上がって搾取され続けた、最後まで、親は自分の命を人質にして僕に誠意を要求した。、今度は鬱になっていたのは親ではなく僕だったのに。
『お前のことを思って』と言って、しにかけの僕に、テスト期間の一週間前に心臓のこととか諸々のことを言って、かつこっそり行っていた心療内科に乗り込んで出禁にされた、それだけだ。
自殺未遂して、ほとんどの単位を落として、結果今留年が確定して、まあ起こったことは要約すればそれだけだ。
想えば裏切られる、だから憎まなければならない。愛せば奪われる、だから憎まないと生きていけない。
別になんにも偉いこと尊いこと確かな意志も思想もなにもない、ただ、それだけの出来事、境界例とかの延長線上のこと。
そうなる理由があって、そうなった、それだけだ。
仕組みが分かったところで、病気はなにも治らない。

助けられたあなたが羨ましい。
憎みたくなんてなかった。
助けられたかった。
誰かを好きになりたかった。
でも、もう全て起こってしまった。
助けてほしい、
そうすれば
憎まなくて済むかもしれないのに。
助けてほしかった
そうすれば、
こんなに憎まなくて済んだのに
助けて

せめて、あなたみたいに一緒に飲んで一緒に泣いて一緒に笑い合える人が居たら、助けられなくても人を愛せたかもしれないのに、
今日も隣には誰も居ない。

明日はテストだ。来週もテストだ、再来週もテストだ。再再来週も。終わらない。追試は無いから一個落とす度に再履修が一つ増える。病気もきっとずっと治らない。大学にも居られるかどうかわからない。

終わりが見えなくなってきたので、ここらで切り上げる。
いつか、一筋の光のことも、書きたい。